743×700 (172,039 バイト)
(*尚真王(King Sho Shin, 1465-1526) Painted by 向元湖(Sho Genko, 1748-1841)






1.琉球王朝の品階制度
2.琉球王朝位階表
3.琉球王朝の身分制度の概要
4.王府行政機構図
5.技術官関係品階
6.武官関係品階
7.その他役職の品階
  




<琉球王朝の品階制度>


 この琉球王朝の位階制度は、まず身分序列であるといゆこと。第二尚氏王統の第3代・尚真王(在位1476年 - 1526年)に位階制度の基本が確立された。1509年、金銀の簪(ジーファー、かんざし)によって貴賤の別を定め、次に1524年には、六色の冠(ハチマチ)によって等級が制定された。

制度的には身分階級を示したものであり大きく四段階に分かれていた。(王族、上級士族、一般士族、平民)士族は『一般士族』であっても努力しだいでは『上級士族』の称号「親方」(ウエーカタ)まで昇進することができた(ただ、よっぽどのことがない限り難しかった)が、平民{町百姓、田舎百姓、筆算人(地方役人)}から士族への昇格はまず皆無に等しかった。

その後、18世紀初頭に程順則らによって「琉球国中山王府官制」(1706年)が制定され、九品十八階の位階制度が確立し、1732年には、蔡温らによって位階昇進の細目を記した「位階定」が制定された。国王、王子、按司などの王族は、九品十八階のさらに上に位置し、平民はその下に位置した。

 この王朝の全体的な特徴として「大陸と大和の文化様式の融合」があり、その性格上中国や日本の影響を大きく受けながら独自の文化としてその位階や身分制度も発達していった。




<琉球王朝位階表>


品位
称号
位階
冠(鉢巻)色
地頭職名
無品
王子
王子
金簪
赤地金入
五色浮織冠



王子地頭
(一間切)

按司
按司
赤地五色浮織冠
黄地五色浮織冠
按司地頭
(一間切)
正一品
親方

(脇地頭親
方)
紫地浮織三司
紫地五色浮織冠

青地五色浮織冠

紫地浮織冠
  総地頭

(一間切)

脇地頭


(一村)
従一品
三司官
紫冠
正二品
三司官座敷
従二品
紫官
花金
茎銀簪


正三品





親雲上

里之子親雲

(里之子
家)

筑登之親雲

(筑登之
家)
(新参平
民)

申口
銀簪
黄冠
脇地頭
(一村)
従三品
申口座
正四品
吟味役
那覇里主
従四品
座敷
正五品
下庫理当
無采地
従五品
当座敷
正六品
下庫理勢頭
従六品
勢頭座敷
正七品
里之子親雲上
従七品
筑登之親雲上
正八品
里之子
(里主)
下庫理里之子
赤冠
従八品
若里之子
正九品
筑登之
(里主)
下庫理筑登之
従九品
筑登之座敷
無位
青冠
緑冠
仁屋
仁屋
銅簪



387×543 (96,906 バイト) (王子按司大礼服並通常服着装図
(東京国立博物館・19世紀) 左:通常服、右:大礼服
434×590 (127,486 バイト) (*婚姻風俗図(Wedding Scene) painted by 比嘉華山(Higa Kazan, 1868-1939)




<琉球「王府行政機構」>


宝座
国王


御座
摂政
三司官
下御座
表十五人
中央政庁
物奉行所
申口方
用意方物
奉行所
給地方物
奉行所
所帯方物
奉行所
平等方
泊地頭
双紙庫理
鎖之側
物奉行
物奉行
物奉行
平等之側
泊地頭
双紙庫理
鎖之側
吟味役
吟味役
吟味役
吟味役
吟味役
吟味役
日帳主取
日帳主取
役座
(役所)
山奉行所

砂糖蔵

用意蔵

大台所

料理座

催促方
船手蔵

高所

勘定座

用物座

給地座

救助蔵

道具当
田地方

取納座

座検者方

諸製方

米蔵

仕上世座

宮古蔵

銭蔵

賦方

蘇鉄方

紙座

櫨垂方

請地方
玉陵殿
寺社座

大与座

総横目

泊村方

普請
奉行所

鍛冶
奉行所

亙奉行所

総与力
下庫理

書院

納殿

小細工
奉行所

貝摺
奉行所

厩方
御系図座

久米村方

那覇里主所

国学

久米村明倫堂

首里三平等学校所

那覇四町学校所

泊村学校所

首里各村学校所

諸浦在番







琉球時代の小説は数少ないのですが最近「テンペスト」が人気となっています。
琉球時代小説といえばNHK大河ドラマにもなった『琉球の風』が定番でしょう。おすすめです。

テンペスト(上)
テンペスト(下)
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 珊瑚礁王国の美少女・真鶴は性を偽り、宦官になる―。前人未踏のノンストップ人生劇場。

琉球の風(1) 琉球の風(2) 琉球の風(3)
陳舜臣(チンシュンシン)著
 【内容情報】(「BOOK」データベースより)
中国・明からの冊封使を迎えて琉球はわきかえっていた。時は紀元十七世紀初頭、明では万暦三十四年、日
本では慶長十一年のことである。一見華やかな冊封の儀式だが、実はその裏で、琉球は大和と明の間で苦し
い立場に置かれていたのである―沖縄、江戸、京都、薩摩、北京に展開する歴史ロマン。